「NORI」と歩んだ13年間
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池田市の「渋谷高校」の4番として、2年夏の甲子園に出場。大阪では、府立が出場すること自体「事件」なのですが、決勝戦で上宮のエース宮田(ダイエー)から2発放り込んでましたから、そら大阪では注目されました。大阪桐蔭の萩原が、甲子園での実績もあって「阪●やないと行かん!」とは大違いで、ノリはすなんり近鉄の仲間入りして、ドラフト1位の高村祐らとともに、入団会見し背番号は66番でした。 1・2年目は、1軍での出場は殆ど記憶にありません。3年目に西武渡辺久信から、体勢を崩して前のめりの状態でも、思い切りバットを振って、藤井寺のレフトポールにライナーで直撃したホームランを見て、これは天性のホームランバッターやなと思いました。その後は、石井浩郎はじめ、鈴木貴久・金村義明・村上隆行らと並び称される選手になって行きました。 |
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本拠地が大阪ドームに移ってから、ノリは本格的に中軸になって行ったと思います。当初は、3番クラーク、4番ローズ、5番鈴木貴久に続く6番打者でしたが、徐々に鈴木貴久に衰えが見え、クラークも怪我を負い、2000年梨田監督就任の年から、3番ノリ・4番ローズに定着。そしてこの年は、全国に中村紀洋を知らしめる年になったのです。シドニーオリンピックで、日本代表の4番を勤め、惜しくもメダルを逃して涙したことと、初のホームラン・打点のタイトルを奪ったのです。近鉄の歴史上、日本人ホームランキングは最初で最後。名実ともに「近鉄の顔」として、ノリの弁当やグッズが大量に販売されたのも、この頃からです。しかし、チームは如何にも弱く、20世紀最後の年も最下位で、浮上の気配すら感じなかったものでした。 |
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ノリは「いてまえ打線」の伝統を、しっかり受け継いで、チームを引っ張ります。2001年、連続最下位にもめげず、キャンプの頃から「秋には何かが起きる!」と力説し、4月途中から3番ローズ・4番ノリとして、以後定着します。弱い投手陣を補う、破壊力満点で勝負強い、ドーム型新いてまえ打線の完成です。やられたらやり返す「倍返しや!」を合言葉に、チームの勝利数の半数以上が逆転勝ち。迷いも、こだわりも捨て、チーム一丸となって優勝へ向かって、驀進した2001年でした。ノリ自身も、近鉄時代の最高の思い出として、この唯一の優勝を挙げています。本当に信じられない試合の連続で、連日大阪ドームに行っても、ビールの消費量が増え、本当に楽しめた年でした。やはり、優勝はいいもんですね。 |
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翌年は優勝を逃しましたが、このオフから、ノリは試練を迎えることになりました。「フリーエージェント」、結果的に近鉄に残留したのですが、年明けの近鉄百貨店でのトークショーで、各チームメイトがノリについてコメントを求められると、異口同音に「良かった」「残って欲しかった」とコメント。しかし、大村直之だけが違って「どちらでも良かったと思います」と。その主旨は「だって、今までノリさんが頑張って、チームに貢献して得た権利ですから、ノリさん自身が自由に決めればいいと思いました。そりゃ、4番ですから、球団は引き止めるでしょうけど・・」後に大村は、自身のFAに絡んで、近鉄球団に苦い思いをさせられるが、まさに大村の言う通りで、制度の良し悪しはともかく、存在するルールなのですから、文句を言う方がおかしいというものです。しかし、恐ろしい現実が待っていました。明らかに、ノリは下交渉や事前交渉などせず、真更な状態からFA宣言したと思います。それも、そのルールを熟知せず、やりながら覚えて行くというやり方で。そんなところにも、ノリの純粋さを垣間見ることができ、私自身は好感を抱きましたが、新聞特に関西のスポーツ紙はこぞって「ワガママ」「優柔不断」「金を吊り上げる」など、中を読めばノリの言葉の主旨とは違う見出しが飛び交いました。正直私は「スポーツ紙の記者ってのは、頭が悪い」と思い、もう少し突っ込めば「ゼニのためなら、何でもやる人種」であることも解りましたね(要はプライドがない)。 |
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ある意味、ノリに限らず、近鉄の選手は、良くも悪くもマスコミ慣れしていなかったのも、騒動の一端の原因であったのは事実でしょう。これだけの選手です、世間の風潮は「パリーグには勿体ない」という、誤った認識が生まれ、しかも東西の人気球団のオファーに対して、尻尾を振って喜ぶであろうという論調が、思い切り覆されたのですから、怒りになるんでしょうね、その辺の感覚は私には理解し難いですけど。ノリは、ただ純粋にルールに則って、ルール違反しない範囲で、自分自身の考えで行動しただけなんですよね。もう少し、マスコミ慣れしていれば、器用に対処できたとは思いますが、過去にも不細工な近鉄選手は、多く居ましたし・・もちろん、私自身は当然近鉄に残って欲しかったですし、その選択をしてくれたことは、本当に嬉しかった。これは野球観戦でもそうですが、記者の伝聞や、評論家の見解は全く聞き入れず、ノリ自身の声と表情だけを注目していました。だから、先日ノリは本を出版し、FAのときの心情を語っていますが、私自身が当時感じたことと一緒でしたので、本による新たな発見はなかったですね。 |
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ただまあ、チーム内に於いては、破格の契約になったのは事実で、他の近鉄選手と比較して、ノリが高いのか、他の選手が低いのかは解りませんが、その辺りのバランスが、チーム内に波紋を呼ばないか、それだけが気掛かりでした。かなり多くのファン(と、呼べるかは別として)が、ノリに対して非難しはじめましたが、まあ、これらはどうでも良い話ですが、インターネット上でも、とても言葉にできない誹謗中傷は最後まで行われ、ノリ自身も参ってしまったでしょう。全く、バーチャルの世界でしか物が言えない奴等がはびこる、嫌な時代になったものです。スタンドでも「ノリは嫌いだ!」という方も多かったのは事実で、ならば「ノリがホームラン打っても喜ぶな!」と言いたいですね。いずれにせよ、悪評を振り払うには、グランドで結果を残せば良い話ですので、改めてノリを中心に、V奪還を期待したものでした。 |
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しっかし、本当に思うように行かないものです。このタイミングで、右膝半月版損傷ですか・・・まあ、FAで秋季練習が充分でなかったことが、一番の要因だと思いますが、バーチャル輩に恰好のネタ提供になってしまいました。 |
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スタンドからは、当然こんな声も「ノリ、休めよ!」私もそう思いました。ノリ自身が出場を希望しているのか、梨田監督の判断なのか・・ノリは何のために近鉄に残ったのか。一番辛いのは、ノリ自身だったでしょうし、来年もあるのですから・・・ |
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そして、心機一転ローズも抜けた近鉄で、巻き返しを図るはずでしたが、ご存知のように「合併」という名の消滅で、近鉄はプロ野球界に最大の汚点を残してしまいました。ただ、ノリ自身の成績も思わしくなく、合併の発表がなされた6月13日時点では、打率は少々盛り返してきましたが、ノリの特徴であるホームランが伸び悩み、何か勢いが失せているように感じました。それでも、開幕早々から、サヨナラ打を重ねるなど、ここ一番の勝負強さは健在でした。いいんですよ、試合を決める大事な場面で決めてくれれば、あとは全部三振でも4番はそれで。 チームメイトは、バラバラになりました。FA権を持っている大村は、躊躇うことなくFA宣言し、躊躇わず移籍するのも当然ですし、礒部や岩隈のように、合併球団より新設球団に行った方が、気分的にすっきりするのも正直な話ですしね。私は、何人かのファームの若手選手にリサーチしたところ、概ね「自分はどうこう言う立場じゃないですけど、正直、楽天っすね!」でした。ノリとしては、どうなんだろう。傍目から見れば、どちらの球団に行っても相応しくないような気がしてたんです。「大阪の顔」だったのですから、大阪に一つの時代の幕が降りたときに、大阪を去るのが相応しいし、いっそのことメジャー行くのが一番良かったと思います。けど、まだ見慣れていないこともありますが、何かドジャースのユニホームは似合わないなぁ(笑)。やっぱ、ノリは近鉄のユニホームしか似合わないよ。それは、最も「近鉄らしい選手」だったからね。 |
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一部、新聞社の許可に基づき、写真を転載しております。
ノリと大村・・・
お互い折り合いが良くなかったと思うけど、他の追随を許さない、バリバリのレギュラーで、歯に衣を着せぬ発言や、自分に自信を持っているところは、選手としてのタイプは違っても、良く似ています。「合併なんかしやがってから、もうエェわ!出てったるわい!」ってな感じで、一匹狼大いに結構!二人には、合併球団も、新設球団も似合わないと思う。どこに行っても「いてまえ魂」を胸に秘め、「俺のバファローズ」をいつまでも追求して欲しいなぁ。けど、二人とも「終わったら、大阪に帰って来いよ!」(赤河内もね(笑))