野球の話(バファローズの話)

後世に語り継がれる球団

過去に消滅して行った球団は、合併・身売り・解散など様々な形はあれど、数多く存在します。その中で、後世に語り継がれて行くという点で、最もその存在の大きさを物語るのは「西鉄ライオンズ」です。消滅して、僅か1年の近鉄バファローズと、変な言い方ですが「比較して」みても、やはり西鉄ライオンズの大きさが伺えます。

こんな歌があります。かの、中山大三郎氏が作詞作曲した「甦れ!俺の西鉄ライオンズ」。

誰に怒っていいのか わからないが  俺の西鉄ライオンズ もうなくなった
高倉がいた 豊田がいた 中西がいた  大下がいた 関口がいた 和田がいた
太平洋 クラウンと 名前が変る  その度に俺たちは 戸惑うばかり
   かえせ!かえせ! ライオンズをかえせ!
   かえせ!かえせ! ライオンズをかえせ!

何処のファンかと聞かれ 答えるときは  今も西鉄ライオンズ そう答えるさ
小渕がいた 仰木がいた 滝内がいた  河野がいた 玉造がいた 城戸がいた
生抜きの選手たち 悲しむだろう  あのころの西鉄は 跡形もない
   かえせ!かえせ! ライオンズをかえせ!
   かえせ!かえせ! ライオンズをかえせ!

そしていつでも強かった 日本一だった  俺の西鉄ライオンズ 胸張ったものさ
稲尾がいた 河村がいた 島原がいた  西村がいた 若生がいた 畑がいた
懐かしいサムライの 姿が浮かぶ  今もなおこの胸の 血潮が騒ぐ

西鉄ファンよ 今こそみんな立ち上がろうよ  俺たちの手に ライオンズを取り戻そうよ
新しい名前は 例えば九州ライオンズ  心から 応援できるチームにしよう
   かえせ!かえせ! ライオンズをかえせ!
   かえせ!かえせ! ライオンズをかえせ!

この歌、かなり昔(高校生くらいだったかな?)にラジオで試合中継を聞こうとしたときに、雨天中止になって、そのままつけていて流れたのですが、強烈に印象に残りました。この時点で、ライオンズは既に西武ライオンズになっていて、私自身も歌詞に出てくる太平洋とかクラウンは知っていましたが、さすがに西鉄ライオンズは知らず。しかし、資料を見れば、西鉄が強かった時代もあって、太平洋・クラウンからはとても連想できなかったですね。そして、その後も幾度と無く、西鉄ライオンズに触れることもあり、その存在の大きさを実感しました。もちろん、歌詞の中に出てくる「仰木がいた」の仰木とは、近鉄バファローズの監督も勤められた、仰木彬さんのことです。

西鉄ライオンズと、近鉄バファローズの大きな違いは、その歴史の長さもありますが、近鉄は低迷期を脱してからは比較的緩やかに、リーグ優勝というヤマを3回ほど迎えた感じです。一方で西鉄ライオンズは、絶頂期が1回。それは昭和31年から33年までの3年間ですが、いずれも「巨人を倒して日本一」に輝く、まさに「金字塔」でもあり、上記のメンバーは全て、その最盛期のメンバーです。特に昭和33年は、シーズンでは南海に一時14ゲームも差を広げられての逆転優勝であり、日本シリーズでは3連敗したあとに、エース稲尾投手の4連投で4連勝。まさに、劇的な逆転優勝に、福岡は熱狂したことだと思います。福岡の、長い野球ファンの方の意識の中では、現在のダイエー或いはソフトバンクホークスは応援していても「意識の上での」その前身は、あくまで西鉄ライオンズ。南海ホークスが前身なんてとんでもないし、西武ライオンズが後任なんて論外なんですよね。ま、ファンなんて勝手なものです。

大概に、近鉄バファローズもその長い歴史上、ド破天荒な闘いもして来ましたし、強烈に印象に残る試合も多かったと思います。しかし、やはり「敗戦」の記憶が多く、且つ日本一になることが出来なかったのと、地域一番人気でなかったことが、もう一つインパクトを弱くしているように思います。西鉄ライオンズは、「黒い霧」というある意味選手自らの手で消滅させてしまったことと、後継球団の太平洋・クラウンが短命に終わり、その後西武への身売りで埼玉に移転し、福岡には球団がなくなってしまった、壮絶な経緯があります。そして何よりも、上記の通り「3年連続『巨人を倒して』日本一」という、輝かしい経歴を、忘れることが出来ないのでしょう。想像の域は越えませんが、物凄く嬉しかったと思いますよ。

応援しているチームが「日本一」・・・経験できなかったことです。リーグ優勝は経験できましたが、その後の日本シリーズに敗戦すると、とたんに「敗者」の気分になってしまうんですよね。リーグ優勝から日本シリーズの期間は、本当に幸せな気分に浸れたのですが、本当に僅かな期間でしかない。日本一になれば、その気分がオフの間ずっと続くことになるので、どんなものだっただろう。今となっては、永遠に味わうことができない、幻の世界ですけどね。