野球の話(バファローズの話)
地方遠征の楽しみ
毎年、年末近くなると楽しみなのは、来季の「日程発表」。現在は、インターネットの普及により、NPBの公式サイトから入手しているが、その昔はスポーツ新聞等に掲載された記事。新聞の状態では、表面のインクが手について汚らしく、また、新聞紙はわら半紙なので、状態を維持するのが難しいので、5部くらいコピーして持っていた。1部は会社に置き、時間が空けばにらめっこし、あとの4部は自宅に置き、いろいろ計画を立てたりもした。計画は、何度も練り直すので、予備のコピーを下したり、足りなくなってまたコピーしたりと、オフの最大の楽しみでもあった。
この計画、本拠地や関西圏の試合は、別段計画の範疇外で、遅刻しても何でも行くのが当然で、余程学校の行事や会社のそのときの都合によって行けないときは、それはそれで仕方ないと割り切れる。事前に計画を立てるのは、やはり「地方遠征」である。
まず、学生時代の話であるが、ちょうど私の学生時代は昭和63年で終了し、そのときまでのパリーグは、関東3・関西3づつであり、遠征と言っても専ら「関東」のみであった。同時に、学生時代は社会人と違ってお金もなく、そう何度も行けるものではない。大学時代の私のアルバイトは、プロ野球のシーズン中である「上期」は行わず、シーズンオフの「下期」に行っていた。一応「家庭教師」のバイトを、大学の生協の斡旋から探すのだが、できる限り大阪付近で、願わくば中学生で、できれば「3年生」ではないものを探した。さすがに、高校のお勉強は偏りもあって、できない科目もあるし、受験生は勘弁願いたかった。しかし、世の中そう甘くはなく、大概求人があるのは受験生。また、受験生の方が時給が高いこともあって、結局大学の1年〜3年までの3年間(4回生のときには実施せず)、全て中学校3年生の受験生ばかり見ることになった。結果的に、いずれの年も、みな頑張って志望校に合格できたので良かったのだが、ある年のご家庭など、特別のボーナスを弾むので年末年始通しでの特訓をしてくれと頼まれたこともあって、こちらも商売人魂があるのか「ほな、やりましょ」ってなもんだった。それでも不思議なもので、受験シーズンともなればこっちも熱を帯び、ある年などは受験開場にまで行って声を掛けたり、近鉄バファローズのキャンプやオープン戦よりも気になったりしたものである。志望校の府立高校に合格したときなど、バイト代の他にボーナスも頂戴したが、逆にお祝いもしてあげたりして、何と言うか達成感を共有できて嬉しかった思い出である。よって、学生時代は、日向キャンプへは行けなかった。
こうして、軍資金は確保した。私の場合、試合観戦は高校時代までは専ら関西圏だけで、遠征を開始したのは大学の2回生のときから。学生時代は、週末もあるが、大きく動いたのが夏休み。そもそもシーズン中は、キャンパスライフを放棄して、できる限り上期は選択科目は履修せず、後期に単位を取ることを念頭に入れていたので、午後には藤井寺他、各スタジアムに向かっていたし、そりゃファームの試合も数多く足を運んだので、遠征しなくても結構金は必要だった。2回生になって、軍資金もできたので、楽しみにしていた「関東遠征」を、早速週末に組んでみた。上手い具合に、川崎・後楽園・所沢とあったので、4・5・6月に立続けに予定を入れた。そして移動の手段は、もちろん「近鉄夜行バス」。当時はまだ、湊町バスセンター(通称OCAT)が出来ていないので、あべのから出発。予想以上に、快適だったので良く眠れたし、朝起きたらそこは東京や横浜だったのは、不思議な気分だった。そして宿泊は、カプセルホテル。関東には、大阪新今宮のような「安宿」が判らず、風呂も十分に入れて寝るだけのカプセルで十分だった。往復のバス代が13000円ほどで、宿泊も2000円程度。関東内部での、交通費も含めれば、20000円で十分に関東遠征も楽しめた。あとは、チケット代と飲食費があるが、概ね全て25000円くらいだったと記憶している。
各球場の印象だが、まず川崎球場は藤井寺と良く似ていると思った。川崎駅から、結構歩いたが何だか密集した住宅地の中にあり、両翼の外野席の広さが違った。壊れている椅子も多く、今じゃ絶対プロ野球の興行はできない球場だが、ラーメンやうどんなどの飲食物は美味しい。特にうどんは、後に村田兆冶投手も登板前にすするということが判ったが、関東の出汁も結構行けると感じた。後楽園は、ちょうど東京ドームの建設時期とも重なって、周辺はかなり騒々しく狭かった印象だった。それと、東京ドーム時代になっても同じだが、とにかくGばかり。日本ハムの試合なのに、G関係のものばかり売られ、座席の落書きも「王監督●●」「原さん○○」とかばかり。取り壊しが決まっていた時期だが、全体的に汚らしい球場の印象で、食べ物も美味しくない。ただ、照明は藤井寺や川崎より、ずっと明るかった。西武球場は、バスで到着するのが東京駅だったので、とにかく遠いし、行くのが面倒で判り難かった。同じ西武線でも何回も乗り換え、所沢駅と西所沢駅のどちらで乗り換えるのか、今でも躊躇する。更に西所沢からは、最近はそうでもないが、登山列車のように、林の中を突っ切って行くので、何だか不安にもなった。しかし車内の雰囲気は、家族連れで青いライオンズの帽子を被った子供たちで溢れ、近鉄より随分健全だなとも感じた。こちらの三色帽子を見て、指を刺されたりもした。スタジアムも、高原の中の公園のようで、悪い雰囲気ではなかったし、外野の芝生席も良かった。後年、屋根を造ったのは失敗だと思う。ま、それ以上に、このときの西武戦では、あのリチャード・デービスが東尾投手への暴行退場もあったことが印象に残っているが、私も若かったので「やれ、やれ、やってまえデービス!」と怒鳴っていた(苦笑)。以後、学生時代は、関東へ毎年7・8回行った。
所謂、常打ち球場以外の「地方」の遠征は、社会人になってからである。常打ちだが、印象に残っているのが平和台。関東は、関西と比べて全般的に大人しい印象(それでも現在の仙台はもっと大人しい)だったが、福岡は違った。関西のヤジは、何となく軽妙で、他のスタンドファンから笑いを取ることが目的にようで、時々滑る方もいて、それも笑えたりする。しかし、九州は「怒声」と言うか「罵声」と言うか。本当に、標的の選手に向かって、マジで言っているようで怖さすら感じた。そして、当時はダイエーも弱く、組織立った応援も乏しかったので、負けようものなら、グランドにモノが投げ込まれていた。同時に、この地では近鉄ファンの固まっているところに居ようとも思った。今の福岡ドームでは、平和台の雰囲気はないお洒落な空間になっている。女性客も多くなって、友好的なのだが、それでも平和台の印象が強いので、ホークスのチャンスになったときの一丸となった応援を見るにつけ、みんな真面目に応援しているので、ちょっと怖くなる。
もう一つ、何度か行ったのが名古屋。当時は、近鉄の主催試合で、ナゴヤ球場で毎年3試合づつあり、名古屋行きも楽しみではあった。ま、それでも土地柄中日ファンだらけなので、スタンドはガラガラ。内野席などでは、ドラゴンズの帽子を被ったオッチャンや子供らが、結構居たのが印象的。今のナゴヤドームもそうだが、スタジアム内にも「味噌カツ」とか「味噌おでん」とかが売っていたが、最初に行ったとき食べたが、あの濃すぎる味を全く受け付けず、専ら食べ物は持ち込んだ。
このサイトでも松山遠征を紹介しているが、基本的に地方球場に行けば、外野席ではなく内野でゆっくり見る主義。秋田に行けば「きりたんぽ」が売っていたし、松山では「ポンジュース」。その土地の名産を、野球観戦中に食するのは素晴らしい。しかし、それも常打ちではない球場のみで、札幌ドームはには北海道を感じないし、千葉マリンも千葉を感じない(首都圏の一部?)。ま、それは大阪ドームもGS神戸も一緒で、どうも都会にはその発想がないように思う。その点、フルキャストスタジアム宮城の牛タンの屋台や、横浜スタジアムのシュウマイは良かった。
社会人になって、地方遠征も専ら混んでる週末のみになったし、昔と比べてパリーグもお客さんが多くなった。よって、ゆっくり楽しむよりは、時間に追われて忙しない雰囲気なのが残念ではある。とは言え、もはや私は野球なしの旅行は、時間を持て余してしまうようになってしまったので、これからも、野球観戦を理由に旅行を兼ねた遠征を続けたいと思う。差し当たり、来季の最優先遠征地区は「広島」だな・・・