野球の話(バファローズの話)
バファローズとオールスター
昨年、球団の合併や1リーグ化に向け、パリーグの消滅の危機が叫ばれる中、異様な雰囲気で行われたオールスターゲーム。そのとき、パリーグ6球団の応援団から奏でられた「白いボールのファンタジー」。今となっては、この演奏がされると、あの忌わしい事実が思い出され、何ともやるせない気分になってしまう。しかし、パリーグの一員として、今季差リーグとの交流戦で、各所で何度も演奏され、特に新参の楽天応援団もラッキーセブンに好んで演奏していた。そして、今年のオールスターでも、攻撃開始のときにまず演奏された。
さて、オールスターと言えば「ファン投票」。そして、バファローズのファン投票選出選手として、真っ先に思い出すのが「太田幸司」投手です。ファン投票選出は、ある意味人気のバロメータですが、パリーグの場合はその色彩が若干異なります。巨人・阪神を中心に、全般的に人気のあるセリーグファンも、ことファン投票はパリーグ選手も投票します。最近は、特定選手だけの投票でも構わないのですが、私が子供の頃は、両リーグ全ポジション投票しないと「無効」扱いになっていた時代が、結構長かったのです。そうなると、日頃パリーグを見ないセリーグファンは、自分の知っている選手を投票しますので、知名度が大きく左右します。その時代は、捕手は野村(南海)、外野に福本(阪急)などが多くの得票を得ていたのですが、一番の激戦区投手部門で、太田さんは新人の1970年から3年連続。更に1年間を置いて、2年連続の都合5回選出されています。最初の3年間は、もちろん高校野球での人気がモノを言ったのですが、プロでの実績は無に等しかったのですから、凄いですね。昨今の甲子園のスターでも、荒木大輔さんを始め高校卒1年目から選出されるのは皆無。唯一の例外が、松坂大輔投手ですが、彼は1年目からプロで勝っていましたので納得。太田さんは、監督推薦でも2回出場していますが、連続ファン投票選出中に1度選出されなかた1973年は、ムリに推薦された感じでしたが、連続出場が途絶え、1年置いた1977年は大阪球場の第1戦で先発して好投しています。この頃の太田さんは、年間2桁勝てる投手でした。
太田さんの出現で、割を食ったのが、実力派の「鈴木啓示」さん。鈴木啓示さんも、高校卒1年目から出場していますが、当時南海の鶴岡監督に「パリーグの将来を背負う投手だから、大きな舞台を経験させよう」と、監督推薦で選んで貰ったのです。その期待に応え、入団2年目から太田さんが入団するまで、3年連続ファン投票選出。以後、ファン投票で選ばれることはありませんでしが、都合15回の出場は近鉄史上最多です。
ファン投票選出数で、近鉄史上最多は「大石大二郎」さんの8回が最多。次いで「梨田昌孝」さんと「タフィ・ローズ」の6回が続きます。太田さんは5回でしたが、これは競争の激しい投手であったのと、やはり継続的な活躍がなかったので、仕方ないです。強烈な印象はありましたけどね。大石さんは、新人王を獲得した翌年から7年連続選出。当時のパリーグには、西武の辻、ロッテの西村など、玄人受けする好選手が多かったのですが、それでも投票で選ばれ続けたのは、全国区的な人気選手だったからでしょう。梨田さんは、南海から野村さんが抜けてから、このポジションの常連になりました。またローズは、1998年から6年連続選出。元々実力派で認知されていましたし、年間最多ホームランを記録してからは、パリーグ最多得票を獲得するなど、ファンに受け入れられる選手でした。
バファローズの選手が、一番多く出場したのは不思議と「優勝の翌年」が多く、1990年・2002年そして、前年優勝はしませんでしたが、最後まで西武とデッドヒートを繰り返した1986年の翌1987年の3回、7名の出場選手があります。1987年は、ファン投票で大石・村上、監督推薦で新井・デービス・山下・小野そして新人の阿波野。1990年は、ファン投票で大石・新井・ブライアントそして新人の野茂の最多の4名で、監督推薦では阿波野・小野・鈴木貴久。また2002年は、ファン投票で中村・ローズ、監督推薦で岡本・パウエル・的山・吉岡・大村が出場しています。
では、実際の試合での活躍ではどうか。私が見てきた範囲では、近鉄選手がMVPを獲得した試合は5試合あります。最初は、1980年の第2戦川崎球場で、息詰る投手戦の中「平野光泰」さんが、ライトスタンドに決勝ツーランを放ち、MVPを獲得しました。ホームランに纏わるMVPは続き、1990年第1戦横浜スタジアムで「ラルフブライアント」が、巨人斎藤からバックスクリーンに叩き込む逆転の弾丸ライナーは、前年巨人に敗れた日本シリーズの悔しさが残る近鉄ファンの溜飲を下げたものです。更に1996年の第1戦の福岡ドームで、この年ダイエーを自由契約になり「古巣」近鉄に戻ってきた「山本和範」さんが、大歓声の中見事な代打満塁ホームラン。ホークスでも人気のあった山本さんの、まさに一人舞台でした。2001年の第3戦札幌ドームでは、稀代の和製大砲「中村紀洋」が「4回裏」に勝ち越しアーチ。これで、中村はこの年3試合連続ホームランとなったのですが、セリーグでも松井秀喜選手も同じく3試合連続。どちらが先に達成したかが、結構議論になったのですが、時間的には「4回表」に打った松井なのですが、松井は1死の状態。一方中村は無死の状態ですので、表裏を考慮すれば中村になります。どっちが先?という議論は、どう落ち着いたのでしょうか。最後は、記憶に新しい2002年第2戦松山坊ちゃんスタジアムで、スタメンでマスクを被り2安打2打点と活躍した「的山哲也」です。実は、この年の的山選手の出場は、ファン投票で選ばれたホークス城島選手のケガによる出場辞退により、繰上げ選出だったのです。勝利監督である梨田監督がインタビューで、的山選手のMVPを聞き「今日は雨が降りますので、気をつけてお帰りください(笑)」というのが印象的でした。
2005年、近鉄球団が消滅して、初めてのオールスターが行われました。こうして振り返れば、やはりパリーグの中にあって、結構派手に活躍していた「猛牛戦士」たちでしたが、今年の出場選手は楽天イーグルスから、ファン投票で選出された「礒部公一」ただ一人で、とても寂しく思います。礒部選手は、楽天イーグルスの中心選手での活躍もありますが、それ以上に昨年の「近鉄最後の選手会長」としての活躍が、セリーグチームのファンの心の中に、しっかりと刻まれていたことも大きかったと思います。このように、パリーグの選手は、野球での活躍はもちろん、様々な形でアピールし、多方面で取り上げられることで、ファン投票を有利にすることができます。同じく楽天イーグルスの岩隈投手も、昨年ずば抜けた活躍で、スポーツニュース等で大いに取り上げられたことにより、松坂らライバルを押し退けて堂々ファン投票で選出されました。オールスターは、今季で終わりではないので、各球団に散った近鉄戦士達は来年以降、もっと活躍して、もっとアピールして、これから何年も多くの選手がこの場に終結し、他球団ファンの方々から「お、元近鉄頑張っているやないか!」と思われたいものです。