野球の話(バファローズの話)
バファローズと甲子園
子供の頃、それも幼稚園に入学するか否かの頃、まだ野球なんてとても意識になかったが、最寄り駅の「上本町」に出て、親と近鉄百貨店へ買い物に行くと、必ず目にしたポスターがあった。大変印象深いのは、そこに写っている男性が着用していた服に「18」という数字が書いてあり、眼がほのかに青っぽく、胸には何やらアルファベットが書いてあったので、指を刺して「ガイジン!ガイジン!」と言っていたのである。昭和40年代中盤、近鉄バファローズはこの男性をスターにすべく、何から何まで大きく取り扱っていた。後にこの男性こそが、近鉄バファローズ稀代のスター「太田幸司」であったのを知ったが、何故これほどまで人気があったのかは、もう少し後になってからであった。
「甲子園」という言葉・・・プロ野球でも使用されているが、やはり私の胸を打ったのは、春夏の高校野球全国大会である。私が野球少年になるのには、当然の如くなったが、夏の暑い中グランドいっぱいに駆けめぐり、スタンドはいっぱいのお客さん。コンバットマーチが演奏され、勝って泣き、負けて号泣し、ベンチ前の砂を持ち帰る姿。地元大阪や兵庫は、全国と比べても強い地域であったが、東北・北海道は弱く、全て1回戦敗退という年もあった。そんな東北からやってきて、白い肌の男前投手が決勝まで進めば、人気が出ない訳がなく、更に決勝戦では延長18回まで投げ抜いたのだから、本当にドラマチック過ぎてしまう。近鉄の、と言うより、高校野球史上最高のスター太田幸司率いる、青森三沢高校。きっと、忘れられない学校なのであろう。バファローズ選手も、多数の元甲子園球児がいる。ここでは、思い出すままに、地域別に綴ってみたい・・・
<地元関西>
近鉄最後の主砲「中村紀洋」は、中学時代幾つかの私学から誘われたが、全て断り近所の池田市にある、府立渋谷高校に進学。入学してから間もなく、4番サードの定位置を確保し、2年夏は決勝で上宮を破って甲子園に出場した。残念ながら、甲子園ではノーヒットで初戦敗退したが、府大会の決勝で2本のホームランを放った。私学優勢の大阪では、府立高校が出場するのはごく希で、それでも春は、桜宮・三国ヶ丘などが出場し、かく申す私の母校も戦前は何回か出場し準優勝などもしているが、私が在学時は全くであったが、卒業後2回出場している。しかし夏は私が知る範囲では、春日丘とこの渋谷しか記憶にない。しかも渋谷は、中村在学時の残り2回は、いずれもベスト4であった。その前後は、今ひとつなだけに、如何に中村が凄まじかったか、という好例である。大阪と言えば、実は近鉄沿線に強豪私学が犇めき合い、その代表が河内長野線沿線「喜志」にあるPL学園である。最後の年には、福留と同期で投手だった「前田忠節」、横浜の松坂と死闘を演じた「大西宏明」、桑田2世とも呼ばれた「朝井秀樹」の3名が、いずれも甲子園で活躍。更に過去には、準優勝だった「新井宏昌」、桑田・清原と同期で優勝メンバーだった「内匠政博」、大学で藤井とバッテリーを組んだ「宇高伸次」、悪童エース「前川克彦」もいた。近鉄のお膝元上本町には、上宮高校があり、現役では「三木仁」がいる。三木は、平成9年春に超大型チームの3番サード主将で出場し、優勝間違いなしと思われたが、準決勝敗退。かなり好選手を輩出している近大付には、正捕手「藤井彰人」が、優勝候補として出場した。このときの大阪大会の決勝は、松井和夫(稼頭央)率いるPL学園で、見応えのある闘いであった。また、強豪犇めく大阪では、甲子園出場がままならない学校も多く、「佐々木恭介(柏原)」「平野光泰(明星)」「古久保健二(大成)」「野茂英雄(成城工)」などはその代表的選手である。隣の兵庫県も、大阪に負けない激戦区。核弾頭「大村直之」は育英高校時代に、2年春と3年夏に出場し、2年時は1番センターでベスト8、そして3年時は3番センターで毎試合安打で優勝に大きく貢献した。特に、準決勝で満塁のチャンスで初球を叩いて右中間を割り、走者一掃の3塁打で魅せた、積極的な打撃と走塁は、その後を暗示させるものだった。育英では、大村の1年先輩「衣川幸夫」と、1年後輩の「井戸伸年」も近鉄に入団しているが、育英と言えば何を於いても「鈴木啓示」である。中継ぎのエース「岡本晃」は、三田学園のエースとして、3年春に出場。初戦で、優勝した広陵に敗れたが、延長11回降雨引き分けで再試合となるなど、一歩違えば歴史を塗り替えたかもしれない。この三田学園OBには、かつての大砲「羽田耕一」が、1年先輩の「淡口憲ニ」とともにクリンアップを打って、選抜に出場もしている。兵庫と言えば報徳、報徳と言えば何といっても「金村義明」である。当時は投手で、投げて打っての大活躍で、横浜・早実・名電など強豪を力で捻じ伏せ、野性味のある優勝であった。近年では、神戸国際大付属で「坂口智隆」が、2年春に3番エースで出場している。こうして見ると、関西と言っても大阪と兵庫で大多数を占めてしまうのが解る。京都・奈良・和歌山にも、強豪高はあるが、いざプロとなると事情は異なるようで、代表格は平安の「石山和秀」、箕島の「吉井理人」、智弁学園の「山口哲治」ぐらいであり、若手では鳥羽出身の「近澤昌志」が4番捕手として、3年春夏と出場し、快打を連発し、特に夏は初戦で桐生第一と戦い、楽天でチームメイトとなる一場を打っている。
<人口の坩堝関東>
何と言っても、帝京の「吉岡雄二」の活躍が光る。3年春夏に出場し、夏はエースで4番として甲子園のを制した。当時から、投手としてよりも、打者としての素質が光っていた。同じく帝京で、やはり優勝投手だった「三澤晃一」も、投打に活躍。東京では、創価の「小野和義」も前評判は良かったが、初戦で敗退。実績で言えば「高村祐」も負けてはおらず、2年春に初出場の宇都宮南のエースとして、スイスイと勝ち上がり決勝まで進出。決勝戦では、池田高校の猛打の前に屈したが、地肩の強い伸びのあるボールを披露した。埼玉では、大宮東が初出場したときの、3番捕手そして主将だったのが「北川博敏」。残念ながら、甲子園では初戦で高知商に敗れるも、初回6点を奪いながらの逆転という、悔しい敗戦であった。ちなみに、そのときの埼玉大会の決勝戦の相手が浦和学院で、1学年下の「鷹野史寿」が中軸を打っていて、北川は西武球場でホームランを打っている。大阪同様、大変な激戦区神奈川では、最たる強豪横浜OBは「阿部真宏」。3年の春夏出場し、春は初戦敗退だったが、夏は初戦で山田秋親がエースの北嵯峨と激突し、4番ショートとして接戦を勝ち抜いた。松坂大輔は、阿部の2年後輩であり、2年先輩の「矢野英司」は3年春夏出場した。この県は強豪が多く、横浜商の「武藤孝司」は、2年夏に1番ショートで出場し、3回戦でランニングホームランを打っている。また、東海大相模のエースだった「吉田道」は、剛速球で決勝まで進出し、三澤の帝京に敗れた。山梨も関東に含めれば、甲府工の2年夏に出場した「山村宏樹」は、初戦で高須洋介のいる金沢を完封している。近年では、日大三の優勝投手「近藤一樹」や、常総学院の3番ショートで優勝した「坂克彦」など、実績もある期待の若手も多かった。「岩隈久志」は堀越3年のときに、準決勝で日大三に敗れたが、近藤一樹はまだ1年生であったが、都大会のベンチには入っていた。
<人材の宝庫九州>
現在は、ホークスに集中しているように思えるが、甲子園出場の有無を問わず、11人の選手が最後のバファローズにいた。しかし、現役の甲子園組は、期待の若手に多く「香月良太」は柳川の3年春夏に出場し、いずれもベスト8。柳ヶ浦の大砲「吉良俊則」は、2・3年の夏に出場したが、いずれも初戦敗退し、本人も不発だった。OBの重鎮は、宮崎商出身で、高校時代は投手だった「小川亨」。香月の大先輩「久保康生」は、柳川史上最強チームのエースだったが、3回戦で敗退した。土地柄か、どちらかと言えば、関西のように巧妙な選手よりも、武骨で不器用ながらも、大物感がある選手が多く、大牟田出身の「村上隆行」や柳川の「川口憲史」などは代表格である。また、沖縄出身では、沖縄尚学出身の「真喜志康永」と、現役では浦添商出身の「有銘兼久」がいるが、よく甲子園に出場する高校であるが、運悪く在学中の出場はない。ベテラン「吉田豊彦」は、全国では無名の国東のエースだったが、予選の決勝で敗れている。
<野球王国四国>
代表格は、何と言っても松山商の「水口栄二」。3年夏に出場し、1番ショートで主将で準優勝。そして、未だ破られていない「大会19安打」の記録ホルダーである。並み居る偉大なOBと比べても、甲子園の実績も併せ、歴代ベストナインには必ず選出される、立派な金字塔である。この水口と同期で、高校時代からのチームメイトだったのが「佐野重樹」であり、高校時代は外野手で2番手投手だった。その他には、意外に野球王国四国出身選手は少なく、めぼしいところでは、伊野商出身の「井本隆」ぐらいである。ただ、期待の若手の中には、明徳義塾で4度出場し、最後の夏に4番捕手で優勝した「筧裕次郎」。水口の後輩で、松山商出身の「阿部健太」は、2年夏に出場して準決勝まで進出している。
<試合巧者東海>
甲子園最多勝利校である中京を代表とする、愛知がこの地区の代表格であるが、バファローズは隣の静岡の方が縁が深い。県下有数の進学校でもある、静岡高校OBの「赤堀元之」と「高木康成」は、いずれも甲子園に出場している。赤堀は、2年夏に出場し、初戦でKOされ苦々しい甲子園であったのに比べ、甲子園での実績では高木が上回る。3年春夏に出場し、いずれも初戦突破して、夏は1回戦で17奪三振と、快投を魅せた。同じ静岡では、静岡商出身の「大石大二郎」は、3年春に出場。愛知では、かつて春夏制覇した中京のエース加藤を獲得したが、プロでは大成しなかった。
<地味な強豪中国>
関西と四国・九州に囲まれ、意外に地味なところであるが、この地域の代表格は「礒部公一」。西条農3年夏に、4番捕手そして主将で出場し、2回戦でバックスクリーンにホームランを放っている。驚いたことに、最終年度の在籍選手で、この地区出身は、この礒部ただ一人である。過去にも、傑出したOBも少ないのは、やはりこの地区は広島カープの牙城となっているからであろうか。唯一と言っていい大物が、島根浜田高校出身の「梨田昌孝」であり、3年夏はやはり礒部と同じく、4番捕手で主将として出場した。また、甲子園には出られなかったが、現役時代梨田とポジションを争った「有田修三」は、山口の宇部商出身である。
<新興勢力北信越>
昔から、豪雪地帯で冬場の練習が満足にできず、甲子園ではなかなか勝てなかった北信越。最近は様子も変ってきたが、プロ選手輩出となると、まだ少ない。そんな中、例外的に多くの選手を出したのが石川の星稜であり、松井秀喜を筆頭に、小松辰雄や村松有人などのタイトルホルダーもいる。そして、その星稜で最も甲子園での実績があるのが「山本省吾」である。1年夏から3季連続で出場し、2年夏には懸命に投げ準優勝であった。また、星稜のライバル金沢OBが「高須洋介」であり、3年春夏と3番セカンドで出場。いずれも初戦敗退であったが、夏は初戦で甲府工と当たり、相手投手は「山村宏樹」であった。2人とも、大学経由で逆指名で入団したが、ちょっとその期待を裏切っているように思う。
<これからの東北・北海道>
現役よりは、OBに大物が多い。北海道は、何はなくても「鈴木貴久」である。旭川大付の4番として、快打を連発して3回戦まで進出。他に北海道では、函館有斗のエースだった「盛田幸妃」がいる。東北では「太田幸司」は別格としても、甲子園出場組以外に秋田に大物がいる。六郷出身の「村田辰美」と、秋田出身の「石井浩郎」である。そして、現役では辛うじて、甲子園出場組がいて、仙台育英の「鈴木郁洋」は2年の春夏に、控え捕手で出場。また、青森から旋風を巻き起こした光星学院の「根市寛貴」は、2番手投手の扱いだったが実質的なエースで、太田幸司の三沢以来の、青森勢ベスト4進出に大きく貢献した。
とまあ、ここまで書いてきたが、やはり地元を意識してか、関西出身の選手が多かったので、私自身も愛着を持ち続けることができた、一つの要因であったと思う。甲子園大会については、選手の健康管理の観点から、一言も二言も言いたいのだが、野球を志す者にとっての聖地であることは、これからも変らないであろう。