生で見た記憶に残る試合
| 昭和63年10月17日 | 残り4試合 | 関西私鉄パリーグ3球団の意地! | 対阪急 | 西宮球場 |
昭和63年は、結果的に昭和のプロ野球最後の年となり、関西パリーグ3球団にとって、大きな出来事があった。南海ホークスと阪急ブレーブスは、身売りによりその歴史を終えることになり、我が近鉄バファローズは、逆転優勝に向け、非常にドラマチックな終盤を闘うことになった。時に、私は大学4年生。既に就職は決めており、あとは卒業論文を残すのみで、後期は大学へ通うのも、ゼミへ週2回程度顔を出すだけだった。
10月15日の土曜日は、既に大手スーパーの「ダイエー」に身売りが決まり、福岡に移転する南海の最後の大阪球場での試合があり、その相手がバファローズだった。外野席は無料開放され、私もレフトスタンドに陣取ったが、逆転Vを目指すバファローズよりも、当然南海が主役で、物凄い数のホークスファンでいっぱいとなり、試合も負けてしまった。私にとって南海ホークスは、野球を見始めたときから弱体化していて、大阪球場にも良く行ったが、お客さんも少なかった。しかし歴史を紐解くと、過去には大変な栄光の時代もあり、それを知ってるオールドファンの方が、大阪球場に休むことなく詰めかけ、藤井寺や日生よりキツイ野次が多かったように思う。門田博光・河埜敬幸・定岡智秋・香川伸行などが、大阪球場から去って行く姿を、最後までしんみりと眺めていた。ちなみに、この中に同い年の「吉田豊彦」もいた。
翌日の10月16日の日曜日は、藤井寺に戻っての南海戦。もちろん、ここでは本拠地最終戦もあって近鉄ファンが多かったが、南海にとって「最後の関西での試合」もあって、通常より多くの南海ファンもいたので超満員であったが、村田辰美の好投と打線の爆発で圧勝。この日の試合開始は15:00で、首位を行く西武ライオンズは所沢で13:00から、今季最終戦を行っている。スタンドのあちこちで、ラジオを聴いている方に、所沢の途中経過を確認しあっていたが、結局西武は引き分けで全日程終了。そして近鉄に、残り4試合でマジック3が点灯した。マジック3、つまりは残り4試合で3勝1敗または2勝2分。相手は、西宮で阪急1試合と川崎でロッテ3試合。ロッテは最下位であったが、まず西宮で勝って川崎に乗り込むのが良いであろう。一方で、この試合後私は、一旦家に帰って身支度をし、新大阪駅に向かった。何をしに出掛けたかといえば、来春就職する会社の内定式が、明日東京本社で行われるのである。当時の就職協定によれば、内定を出して良いのは10月15日以降ということで、形式上の話だが、交通費と宿泊代を出して貰っている以上行かねばならない。本当なら、川崎球場の試合まで引っ張りたかったが、これまた18日が、当時交際していた女性の誕生日とあって、戻らねばならなかった。今考えれば、何かで埋め合わせすれば良かったと、痛恨の極みである。
そして10月17日の月曜日。実は前の晩、東京の六本木などという所に繰り出してしまい、夜明け近くになってホテルに戻ったから、眠いわ頭は痛いわで、最悪の状態で内定式に出席した。とは言え、あまり公に出来ない式で、あくまで非公式の「学生拘束」会のようなものだった。当時はバブルが唸っている時代なので、学生売手市場。よって企業側が、内定を出した学生を何とか確保しようと必死だったが、私はゼミの教授の紹介もあったので、別の会社に就職しようとは思わず、ひたすら無意味な集まりだった。10:00から始まり、何だか人事部や役員やらが来て、どうでも良い話をしていたが、さすがに間が持たず11時くらいから「会食」となり、最上階のレストランに行った。そこで、呑めや食えやの状態であったが、要は酒に酔わせて他の会社に行けなくするということであった。お開きになったのは12:30。そこで、私と数名が残されたが、人事部長が「皆さんとは、殆ど面識がないので、宜しかったら、もう少しゆっくりして行かないか?」と聞かれた。今日集まった多くは、東京の大学生だったが、残されたのは東京以外の地方の学生ばかり。そらそうだ、私もこの人事部長を初めて見る。しかし、私は人事部長の「宜しかったら」という言葉を頼りに、帰阪することを告げた。すると「そう、大学の用事なら仕方ない、では赤河内君、必ず4月1日には来てね。」と念を押されたが、こっちも別に裏切るほど、会社というものに拘りはない。速攻で東京駅に向かい、当時の一番速い「ひかり」に乗り込んだ。大学の用事などは、丸っきりウソで、西宮球場に向かうだけである。これは、当然である。新幹線の中で、今日集まったメンバーの一覧表を見ていたが、さすがに眠くなり気付いたら新大阪だったので、急いで降りたのから、一覧表と安物のネクタイを忘れてしまった。
とにかく急いで大阪駅に出て、コインロッカーに荷物を片付け、阪急電車に乗って「西宮北口」駅に向かった。このとき17:30で、試合開始30分前だったので、充分間に合った。一昨日・昨日の南海ホークスとのお別れ試合と異なり、平日でもあるのでガラガラの状態である。発表は15000人だが、5000もいるはずもない状態であった。私は、レフトスタンドに入り、スタメンを確認。先発は阿波野で、阪急は星野。うゎ、星野かよ!と思ったが、流れはこっちにある。しかし、結果的にこの試合も、阪急ブレーブスとのお別れ試合になろうとは、このときは知る由もない・・・
既に優勝の可能性がない阪急は、メンバー的に手薄である。ブーマーは帰国し、福本らは出場していないし、蓑田はこの年から巨人にトレードされている。山越・高橋智・中島などのメンバーが名を連ね、主力は石嶺と松永くらいである。一方逆転Vを目指す近鉄は、当然ベストメンバーで星野に挑んだ。阿波野と星野の投げ合いになったが、立ち上がりは阿波野の方が良かった。近鉄は星野のような投手に対し、伝統的に苦手とする。攻略法としては、立ち上がりをガンガン攻めるか、中盤まで球数を多く放らせるかが良いのだが、立ち上がりは適当に、中盤からあっさりしてしまう悪い流れになっている。小雨が降る中、私もスーツ姿で応援に熱中する。サラリーマンになれば、こんな感じなのかな?と、漠然と思ったものである。そして6回、遂に均衡が敗れてしまう。数少ない主力松永にヒットを打たれ、続く石嶺が豪快に阿波野のストレートを高々と打ち返し、左中間スタンドに叩き込んで2−0。ちょっと、嫌な雰囲気なってきた。打線は、中盤以降全く星野を打てなくなっている。7回にオグルビーと鈴木貴久が久し振りにヒットを打つが、これも得点に至らず。そして大石から始まる8回に期待したが、大石はあっさり打ち上げ、続く新井も三振。打撃職人新井が、唯一と言って良い苦手な投手星野。しかし、ブライアントが物凄い金属音を残して、会心のアーチをライトスタンドに叩き込んで1点差。そして、オグルビーと羽田がヒットで続き、2・3塁のチャンス。ここで貴久だ!と一瞬思ったが、鈴木貴久は前の回代走が出ている。打者は安達であったが、メンバーを見ても、代打は梨田は使ったが、村上が残っている。しかし出てきたのは尾上で、案の定尾上は星野の術中にはまり三振。いろいろと、悔やまれる敗戦であったが、まだ優勝の可能性はある。残り3試合、全勝が要件となるが、私は逆転優勝で日本シリーズが見られると思っていた。
その後の結果は、ご存知の通りで、10月18日はロッテに大勝したが、翌日の10月19日のダブルヘッダー、俗に「10.19」と呼ばれる闘いで1勝1分となり、優勝を逃してしまった。この第2試合は、ABC放送で中継され、食い入るようにTVを見ていたが、テレビに向かってあれやこれや言いながら見ていた。同時に、阪急の身売りも発表され、言い様のない寂しさを感じた、昭和そして学生時代最後の秋であった。
それから・・・・
私は、予定通り就職し、現在も勤務している。南海は「福岡ダイエーホークス」として生まれ変わり、当初は結果が出なかったが、11年目に日本一となり、以後はパリーグきっての強豪となり、リーグ優勝3回、日本一2回。何よりも、福岡を初めとする九州地区の野球ファンを魅了し、毎試合4万人以上の観客を集め、人気・実力ともプロ野球最高峰に立ち、身売り移転は大成功であった。
阪急は、10月22日に西宮球場で最後の試合を行い、ファンに別れを告げた。ちなみに、このときの相手はロッテである。そして身売り後「オリックスブレーブス」となって、2年間は西宮球場を使ったが、3年目から神戸に移転し、名前も「オリックスブルーウェーブ」とした。そして、不世出の大打者「イチロー」を輩出し、7年目にリーグ優勝。翌年も連覇し、日本シリーズでは巨人を相手に全く寄せ付けず、日本一を勝ち取った。この時期発生した「阪神大震災」に対し、真っ先に「がんばろう神戸」というスローガンで、被災地に勇気を与え、希望の旗手となったのは、我が近鉄でも、人気の阪神でもなく、オリックスであった。
近鉄は、翌年平成の最初の年に、大激戦の末リーグ優勝。その後、野茂英雄・石井浩郎など有数の人材を得ながら、低迷を続けたが、更に12年後の2001年、つまりは21世紀最初の年に、リーグ優勝を果たした。
そして・・・・
2004年、旧「関西私鉄パリーグ3球団」の歴史に幕を降ろすときが来た。近鉄とオリックスが統合し、2005年から、オリックスが母体となる球団となる。近鉄は消滅し、阪急は「前身」ではなくなってしまった。そして、福岡でもダイエーが、何とかギリギリまでまで、球団を持ち続けたが、親会社の経営上の問題から、身売りを余儀なくされ、南海色が色褪せてくるのは仕方ないであろう。
南海は、大阪球場あった場所に「なんばパークス」という、ショッピングタウンを立て、記念館やモニュメントを、僅かに残している。阪急は、野球が終わっても競輪に使っていた西宮球場を、この年取り壊しに着手した。跡地は、やはりショッピングモールを立てるそうだが、何らかの形でブレーブスの軌跡を残すという。近鉄は、日生球場は既に壊され、藤井寺球場も閉鎖すると発表した。取り壊しの計画は、今のところないが、南海・阪急同様に、バファローズの姿を残して欲しいと願っている。
そして・・・私も大阪を離れた。
南海ホークス
阪急ブレーブス
そして近鉄バファローズ