生で見た記憶に残る試合
| 2 | 昭和54年10月28日 | 日本シリーズ第2戦 | 鈴木啓示、貫禄の完封勝利。 | 近鉄 4−0 広島 | 大阪球場 |
昭和54年と言えば、近鉄ファンであれば誰でもピンと来る、初優勝の年である。この年から、私は中学生となり、学校では野球部に所属し、小学校時代と比べて満足に観戦もできなかった。とは言え、他の野球を志すボーイズリーグに所属する子に比べれば、格段に楽ではあった。野球部と言っても、試合がなければ日曜日は休みであったし、そもそも私自体、小学生時代は将来近鉄の選手になることを憧れていたが、中学生になって自分がどのレベルにいるかは判っていたので、楽しめれば良いという感覚だった。よって、平日は難しくても、日曜日に開催される日生や藤井寺、あるいは大阪球場や西宮球場の試合は、普通に見に行っていた。
前日の日本シリーズ第1戦は、練習があって見られなかったが、夜NHKのダイジェスト放送を、食い入るように見て、解説の鶴岡一人さんの「ちょっと、今年は力の差がありますな。近鉄が順当に勝つんじゃないですか。」という言葉を、何の疑いもなく信じた。そして第2戦、野球部の先輩や同級生を含め5名で、難波の大阪球場に朝早くから出向いた。いやいや、凄い!いつもの南海戦と違って、周囲の華やかさは格段の差であり、バッファ君を描いたアーケードや露店の多さには驚いたものだった。我々は指定席券を持っていたので、入場に問題はなく、暫く周囲の環境を楽しんでいた。そこへ、広島カープの応援団が、ブンチャカブンチャカ集団でやってきたとき、周囲は騒然とした。「こらぁ、喧しいんじゃボケ!」「お前等、今日も負けるんやから、サッサと帰らんかい!」など、日頃球場では気さくで楽しいおっちゃんたちの目が吊り上っているのが判った。正直怖いなと思ったが、こっちは近鉄ファンやから大丈夫やろと、気楽に思った。球場に入ると、いつもの大阪球場とは違い、お客さんが多い。そして何よりも、1塁側スタンドから見ることと、大阪球場のグランドに、白いホーム用のユニホームで立つ選手たちに、かなり違和感があった。その昔は、大阪球場でも主催試合を行っていたそうだが、私が見るようになってからは、平日は日生、休日は日生または藤井寺であったので、大阪球場の主催試合は記憶にない。
さて、先発はエースの鈴木啓示。非常に疑問があったのは、何で毎年開幕投手を勤める鈴木啓示が、プレイオフとこの日本シリーズでは、第1戦ではなく第2戦であったのか?確かに、この年鈴木啓示はケガで離れた期間があり、数字の上では井本の方が上だったが、このパターンは翌年も一緒であった。後々鈴木啓示が引退間近のころ、西本監督による「鈴木操縦法」であったと、本人が語っていたが、当時は不思議以外何もなかった。鈴木は、全く問題なく広島打線を抑えて行く。一方、広島の先発は山根。実は私は、日本シリーズ直前に、にわか仕込みであるが、広島の選手を一通り頭の中に入れておいた。以前から知っていたのは、南海にいた江夏と阪急にいた正垣、それと同じく南海でコーチをしていた古葉監督だけで、失礼ながら山本浩二も衣笠も、背番号とかは良く知らなかったのである。山根に至っては、後々タレントの「団しんや」に似ているとして有名であったが、当時は顎が長く、投げるときその顎を突き出していたので、みんなでゲラゲラ笑っていた。全く、失礼な話である。前日の、NHKで確認はしていたが、とにかく近鉄応援団のスケールが大きい。何しろ、今までは本格的なブラスバンドのような応援はなかった。この日本シリーズの晴れ舞台、近鉄百貨店のブラスバンド部が、急遽応援に来たのであった。それは、後々本格的になるパンチの効いた重厚なドラムではなく、軽妙で流れるような演奏だった。余談だが、当時は企業のクラブ活動も盛んで、近鉄グループ社員も沿線のあちらこちらで、音楽会やカルチャースクール、スポーツイベントを活発に行っていた。今となっては、懐かしい話である。試合は鈴木啓示が投げているので、全く安心して、家から持ってきたお菓子やシュースを頬張っていた。「ムリや、広島には打てへん」。また攻撃時は、ブラスバンドが奏でる演奏に合わせて「かっとばせ、オガワ!広島倒せ〜、おー!」と、手拍子と合わせて声援するのも楽しかったし、いつもながらの日生・藤井寺のおっちゃんたちの野次も絶好調で、大いに笑わせてもらった。しかし、山根も絶好調であった。
両軍無得点の試合は、7回裏に動いた。この回先頭の、3番小川・4番マニエルが出塁。そして、西本監督が動いた。ランナーを、藤瀬と阿部に交代。チームリーダーと主砲を一度に交代させる、思い切った決断だった。そして広島も、江夏を出してきた。しかし、調子づいた猛牛打線は全く意に介さず。栗橋凡退の後、羽田が目の覚めるセンター前。物凄い当たりだったので、さすがの藤瀬も帰って来れない。そして、アーノルドが右中間に打ち上げる犠牲フライ。藤瀬がゆっくりホームインし、場内は大歓声。1塁ベンチ前も、みんな出てきて大騒ぎ。しかし、私は一人怒っている背番号68番をその場で確認した。何か、2塁ランナーの阿部を指差して、大声で怒鳴っている。ランナーの阿部はヘルメットに手をやり「すいません」。そして同時に、あれだけ大騒ぎしていたナインも、一瞬にして静まった。要は、何で2塁ランナーはタッチアップで3塁に行かんのや!ということだったが、西本監督の影響力は絶大である一面であった。ちょっと、重い空気であったが、鈴木啓示の恋女房、有田のでっかいホームランが、バックスクリーンに飛んで行った。スタンドは万歳三唱の嵐で、もうお祭り状態。みんながみんな笑顔で、中には自分でビールを頭からかける人もいた。続く石渡がアウトになって2死、しかしここで、何を勘違いしたのか、先ほど西本監督に怒られた阿部が、グラブを持ってグランドに飛び出したが、一塁ベース付近で水谷が笑いながら阿部を制し、指を2本立てた。阿部の勘違いが、スタンドの爆笑を誘ったが、後で見るとベンチも爆笑であった。阿部にしてみれば、怒られた後だけに、ベンチに居たたまれなかったのであろう。
とにもかくにも、広島の守護神で、前評判の高かった江夏を粉砕し、このままの勢いで日本一は間違いないと思った。鈴木啓示は、全く危なげなく完封。ゲームセットの瞬間、いつもは勝ってもクールな鈴木が、両手を高々と上げ喜びを現した。そしてようやく、やれやれという表情で、ヒーローインタビューに立ち、いつも以上に饒舌に話しまくった。そして、帰ろうとするが、いつもの大阪球場と違い、人が多いため中々外に出られず、球場を出たのは試合終了後1時間後だった。